紺色ネイルと緑色のおばあちゃん

短編小説

どこまでも青く深い紺のネイル
この色を見ているとまるで自分がどこか遠くへと深く潜れたような気がしてくる。

気がつくと時計は12時をさしていた。
いつもの眠る時間を超えていた。
「寝なくちゃ。明日も仕事だ。」

kは昔からそうだった。気がつくといつまでもいつまでも深い青を眺めてしまう。

明日で5連勤が終わる。
最近は3日目あたりから体の疲れがとれにくくなっている。

明日は仕事の帰りに銭湯へ行こうと思った。
家で入るよりも、銭湯の湯に浸かるととてもスッキリする気がするのだ。

湯上がりの大きな扇風機、
冷蔵庫に入った珈琲牛乳。

銭湯は昔ながらの番台のいる銭湯だった。
大正時代にオープンし
歴史の重みを感じずにはいられない趣がある。
タイムスリップしたかのようなレトロな雰囲気は
Kを日常から放してくれた。

この銭湯にはおばあちゃん達が多い。
おばあちゃんは大きなボトルのシャンプー、リンス、ボディーソープ、洗顔を目の前に並べ
いつまでも身体を洗っている。
その光景を真ん中にあるお風呂の湯の中から眺めているのが好きだった。

Kはいつもリンスをしない。
決まっていつもシャンプーだけだ。
ショートの髪はシャンプーだけでもスッキリとさらさらに洗い上がる。

いつもシャンプーしかしないKに隣に座って体を洗っていたおばあちゃんは
「リンスあるよ」と声をかけてくれる。
このちょっとした交流もまた楽しい。

「リンスはしないんで」というと
おばあちゃん達は決まって、ビックリした顔を見せる。

「リンスしないの!?はあー!!」
といわれ
「リンスは昔からしないんです」と答えるのが
この銭湯に通い出してからkの中では変わらない風景の一つになった。

丁度Kが湯から上がり帰る頃、いつもの緑色のおばあちゃんも湯から上がった。

緑色のおばあちゃんはKにいつも珈琲牛乳ーをおごってくれる。

何も話さない代わりににこにこして
そっと珈琲牛乳を差し出してくれる。

初めの頃は戸惑っていたKも今では
頭にタオルを巻いて
扇風機が一番あたる椅子に腰掛け
おばあちゃんと2人で珈琲牛乳をのむ。

おばあちゃんをふと見ると
にこっと笑うので
Kもにこっと笑う。

帰る頃には緑色のおばあちゃんはもういない。

不思議とkと緑色のおばあちゃんが一緒に居るときには
誰もいないのだ。
時々、番台の人がちらっとKの方を見るが何も言わない。

一度だけ帰り際に
「緑色のおばあちゃん、今日はいた?」と聞かれ
「今日は居ませんでした。」
と答えると
「そう」と言ったきり何も言わなかった。
その後は何も聞かれたことはない。

緑色のおばあちゃんは
いつも緑色で
突然現れ
Kに珈琲牛乳をおごってくれるが
気がつくと居ない
と言うことだけだ。

おばあちゃんが緑であることを不思議に思ったことはなかった。

おばあちゃんが緑だろうが、青色だろうが、肌色だろうが
Kにはどうでもいいことだった。

実際Kも他の人から見たら緑色かもしれないのだ。
人はいつか死ぬと言うこと以外に
本当のことなんて この世にはないのだから。

ある日kが湯から上がるといつものように緑色のおばあちゃんがいた。

いつものように珈琲牛乳を飲み
kは髪を乾かし、帰り支度終え外に出ると
緑色のおばあちゃんが外で待っていた。

「おばあちゃん」と声をかけると
おばあちゃんはいつものようににこっと笑った。

おばあちゃんはKと一緒に歩き出した。

「おばあちゃんの家はどこなの?」
Kが聞くと、
「うん、うん」とうなずくばかりで
おばあちゃんはずっとKと一緒に歩いた。

「もしかして私の家に来たいの?」
おばあちゃんは大きくうなずいた。

おばあちゃんが来たいのなら来たらいい
そう思ってKは歩き出した。
おばあちゃんもKに合わせて歩いた。

カランコロン

おばあちゃんは緑色の下駄を履いていた。

リーン、リーン
夏が終わろうとしている合図。
夜道には鈴虫もないていた。

カランコロン
リーンリーン

心地よいリズム。

鈴虫の鳴く声と優しい木の音が夜の小道に響き渡っていた。

それからKはおばあちゃんと暮らす事になった。

朝起きると家中にお味噌汁の匂いが立ちこめ
おなかが空いて目が覚める事が多くなった。

起きるとちゃんとご飯が用意されている。
炊きたてのご飯、茄子のお味噌汁、納豆、卵焼き
おばあちゃんはいつもご飯を食べなかった。
Kがご飯を食べている横で熱いお茶を飲みながら外の景色を見ていた。

Kのアパートの前には大きな木がある。
その木には小鳥がとまり
朝は小鳥のうたが聞こえてくる。

きれいなうたを聞きながらご飯を食べ終わると
身も心も満腹になる。

たべおわるころに
ちょうどいい熱さの
ちょうどいい濃さのお茶をおばあちゃんは入れてくれる。

おばあちゃんはKが仕事に行っている間全ての家事をしてくれていた。
白いブラウスやハンカチにはきれいにアイロンがかかっていた。
おかげで毎日ぱりっとした白いシャツをkは着ることが出来た。

玄関のドアを開けると
お帰りの言葉の代わりに
美味しそうなご飯のにおいがしてくる。
kにとっては慣れていない事だった。

幼い頃kは鍵っ子だった。
両親は共働きで家に帰ってもあたたかな匂いを感じることはなかった。
たまに家族が揃う夕食はいつも外食で
普段は冷凍食品をレンジで温めて食べていた。
母は料理が嫌いな人だった。

金木犀の花が咲く季節に
家族揃ってご飯を食べる日が続いた事がある。

kはクラスの中でも一番家が遠かった。
学校から家までは歩いて40分の距離にあり
集団下校でも自然と最後には一人になる。

家の近所には公園があり
公園の向かい側の家には沢山の木が植わっていた
春には桜が咲き秋には金木犀の香りがしていた。

kは金木犀の香りが好きだった。
金木犀の木に毎日会ったことを話してから家に帰っていた。

その日も何時ものように木に話しかけようと
思っていたのだが皆と別れた後にkの後をついてくる小さなおじさんがいた。
kが走ると走ってついてくる。
kに追いつきおじさんはkの腕をつかみ飴をくれた。
「飴ちゃん上げるから髪の毛をちょうだい」
と言ってきた。
左手には大きなはさみを持っている。

母はkがスーパーで飴をねだると決まって
「飴なんか砂糖の塊なんやから食べたら
歯が溶けて、あごも溶けて何も食べられなくなるわよ!
それでもいいなら買えば。お母さんは助けてあげない」
と言うものだから、飴はいつしかkにとって恐ろしい食べ物になってしまった。

「オカアサンハタスケテアゲナイ」

「飴なんかいらない!」
とkは大きな声で叫んだ。金木犀の家に住むおばさんが窓から顔を出した。
小さなおじさんはkの手をとり走るように歩き出した。
「そこの公園でおもしろい物をみせてあげるから」

恐怖心からkは何も言えなかった
小さなおじさんは持っていたはさみでkの脇腹をつついてきたからだ。
公園の中にある大きな楠にkを連れて行き
ポケットからピエロのマスクを取り出した
「おもしろい?」
と聞かれたが
kは声が出なかった。

ピエロのマスクをかぶった
小さなおじさんは自分の膝の上にkをのせた。

kの太ももに
はらはらと金木犀のオレンジ色の花が一つ落ちてきた。
kは小さな小さな金木犀の花をただじっと見ていた。

金木犀の小さな花には
雀が涙を隠し飛び去った
kの足下でミミズがとぐろを巻いている
重たい空が落ち
雲が停止した

小さなおじさんはkの背後から
右の三つ編みをちょきん!とはさみで切り落とした。
大きなはさみが耳にあたり冷やっとした。

きゅっきゅっと結び上げた三つ編みがほどけ
右側の張り詰めていた頭皮が緩んだ。

「綺麗な髪だね。良い子だね。」
そういって小さなおじさんは頭をなでた。

左側の三つ編みも切ろうとしたとき
丁度パトロール中の警察に見つかり
kは保護された。

それからの記憶は薄れていて
気がつくと家に居た。

近頃不審者が出るというので
警察はキンモクセイの家の近くをたまたまパトロールしていた。
あのお家のおばさんがすぐに通報してくれたこともあり
連れ去られたkの発見は早かった。

「今後は絶対に髪を伸ばしてはだめ。」

と母は言って左の三つ編みを切った。

ちょきん!

左右を綺麗に切りそろえ、次の日学校を休んで美容室に連れて行ってくれた。
そのときの美容師は大きな男の人で
kはうつむいて下唇をぎゅっと噛みながら
1から10までの数字を繰り返し心の中で唱えていた。
呼吸の仕方が一瞬分からなくなりくらっとめまいがした。

美容師に顔を上げるように言われkは目の前の大きな鏡をみた。
鏡には
(私に触るな!)
と書いてあった。

その頃から、kは人と話すことを余りしなくなった。
警察から事情を聞き、心配した両親はできる限り家にいる時間を作ってくれた。
母はkの学校に合わせた時間の勤務の所に仕事を変え
父はそれまでは帰ってこない日もあったのだが
夕方6時には帰って来るようになった。
変わらなかったのは冷凍食品やスーパーで
買ったお総菜だけはあいかわらず食卓にならんでいたことだ。
自分だけは何時もご飯を食べないで
するめばかり食べていた。母が口にするのはいつもするめと水だけだった。
「するめはいいたべものよ。
噛めば噛むほど味が出る。低カロリーしかも高タンパク。
とりあえずするめさえ食べておけば生きていけるのよ。人間は。」

父は何も言わない人だった。
母がするめの話しをしてもまるで空気のように気にもとめなかった。
ただ黙々と味の濃い冷凍食品を食べていた。

kは何を食べていても味を感じなかった。どれを食べてもするめの匂いがする。
するめの匂いは家に染みついているようだった。

事件から1ヶ月も経つと父はまた家に帰ってこない日が続き
とうとう帰って来なくなった。
出ていった父。するめしか食べない母。
家の中はいつもひんやりと冷たかった。

そしてkは今も髪は伸ばさずにずっとショートのままだ。
いつも自分で切っている。

家に帰るとできたてのご飯の匂いがするなんて
kにとっては今まで経験したことがない事だった。
家に帰り扉をあけると
部屋は湯気でとろんっと溶けて
ぐつぐつ、カタカタと鍋の音が響き渡っていた。
おばあちゃんが白い割烹着の上から緑のエプロンを着けている姿を
初めて見たときには思わず笑ってしまった。
そして気がつくと泣いていた。
ぽろぽろと泣いていたら
おばあちゃんはぽんぽんと二回背中をたたき頭をなでてくれた。
そしてkの涙を指ですくい舐めた。
涙を舐めたおばあちゃんは
とても驚いた顔をしていた。

「涙ってしょっぱいのね!」

そんな風に顔には書いてあった。

そしてにこっとまた笑うので
kも思わず泣きながら笑ってしまった。

物心ついたときから泣いた事なんてなかった。
人前で流した涙はこの時
おばあちゃんの横で流したっきりだ。

自分はちゃんと泣くことが出来るのだとこの時初めて知った。

この日はとても寒かった。
夕飯はおでんだ。
熱々のおでんにはKの大好きな卵と厚揚げが沢山入っていた。

「おいしい!」
そういうとおばあちゃんは嬉しそうに
「うんうん」とうなずいた。

今日は満月で月はまんまると輝いている
食事の後、おばあちゃんは珈琲を入れてくれた。
kは珈琲を飲みながら
羊羹を食べていた。

ほんのり甘くて
甘すぎない心地いい味だった。

おばあちゃんとKの間には会話というものはなかった。
ただ穏やかで優しい時間が流れていった。
ここには冷たさが入り込む隙間はなかった。

おばあちゃんの言いたいことは分かるし、
Kの言いたいこともおばあちゃんには分かっていた。

おばあちゃんはよくみると何かに似ている
何似ているのかはよく分からないけれど
何かに似ていることはずっと心の中にあった。

この部屋はとても静かだった。

携帯の着信の鳴る音さえしない。

kは携帯を持っていない。
何度も何度も洗面器の水に沈めたからだ。

ひんやりとつめたい水に沈めた携帯を見ていると
気持ちが静かになった。

緑のおばあちゃんは毎日美味しい料理を作ってくれた。
おばあちゃんが部屋に居るだけで
どこかで見たことあるような懐かしい景色に
なった。それはKを心からほっとさせた。

毎週水曜日、kの仕事は休みだった。
この日は決まって夕方の早い時間から
kは銭湯に行く。
おばあちゃんはいつも朝ご飯を食べ終わるとどこかへ出かけてしまう。
なのでいつもkは一人で銭湯に行くのだが
湯船から上がると、そこにはテレビを見ている緑のおばあちゃんがいた。
画面の中で誰かが笑っていても
ただじっと画面を見ているだけだった。
そしてkに気がつくと冷たい珈琲牛乳を
冷蔵庫から取り出して渡してくれた。
ゴクゴクと音を鳴らして珈琲牛乳を飲む。
甘い珈琲牛乳はひんやりとしていて
ゆっくりのどを通り胃へと落ちていった。

冬も深まり寒さが厳しくなってきた。

相変わらず、おばあちゃんはご飯を食べないし
それでも毎日ご飯を作り続けている。

kが「おいしい」
というと決まっておばあちゃんはにこっと笑う。

ある日の帰り道、kは子猫を拾った。
子猫は公園の入り口にうずくまるようにして丸くなり
か細い声で鳴いていた。
一時間ばかりkは公園のベンチに座って子猫の様子を見ていたが
母猫は現れなかった。
今日は雪が降っていたし
明日は大寒波が来るとテレビでも言っていた。
kは子猫をここに残して帰ることが出来なかった。

よし!

意を決してkは子猫を抱きかかえ
マフラーで大事に包んだ。

「暖かい?」

猫はよほど寒かったらしく
ぶるぶると震えていた。

「よしよし
もう大丈夫だから。」

家に連れて帰ると、おばあちゃんは大変喜んだ。
段ボールにカイロを敷き詰め
マフラーをひき
そのなかに子猫をそっとおいた。
子猫はあまり鳴かなかった。

おばあちゃんは気がつくと外出していたが
戻って来たときには子猫用のミルク、餌、スポイト
トイレの砂などを両手にいっぱい抱え帰ってきた。
本格的に雪が降ってきたようで
おばあちゃんの頭の上には雪が積もっていた。

手際よくおばあちゃんは猫のミルクを用意した。
少し温めたミルクをスポイトに入れて、
ゆっくり子猫にのませた。

「おばあちゃん、飲ませるの上手だね。」

そうKが言うとおばあちゃんはにこっと笑った。
子猫を見るまなざしと自分を見つめるときのまなざしが一緒であることに
Kは気がついた。
子猫はよほどおなかが空いていたのか
のどをぐびぐび言わせて夢中でのんでいた。
小さな口が動くたび
なんだか心の真ん中がぽかぽかしてきた。

おばあちゃんはミルクを飲み終わった子猫に
何度も頬ずりをし
そのたび子猫はみゃーみゃーと鳴くまでに回復した。

真っ白な猫。
まるで甘いミルクのようなその猫はミルという名前が付いた。
ミルはいつもおばあちゃんの膝の上で寝ていた。
Kが帰るといつも玄関まで出迎えてくれた。

「ミル、ただいま。
おばあちゃん、ただいま。」

おばあちゃんが家に来て3ヶ月が過ぎた。
寒かった季節は確実に春へと向かって
色つき初めていた。

「もうすぐ春か。」

そうKがつぶやくと
ミルもミャっと鳴いた。

昨日読んだ小説には春は別れの季節だと書いてあった。

春は1年で一番死へと旅出つ人が多く
春は1年で一番の別れの季節である。
だからこそ春はあたたかく
だからこそ春は明るいのだ。

Kは春が一番嫌いだった。
きっとクラス替えの影響もあるのだろう
毎年クラス換えの当日は胃がきりきり痛んだ。
やっと築けた教室での隅っこの位置も春には真っ白になり
また一から作り直さないといけなかった。

こんなに煩わしいことはない。
いつも一人で過ごすことが多い子供時代だった。

出会いも別れも
未だになれないでいた。

春の気配が濃くなるにつれ
Kの心は黒く塗りつぶされていった。

Kはネイルの色を赤に変えた。
いつも好きでつけていた紺色は
落ち着きを与えすぎるから
今は火のような明るさが欲しかった。

真っ赤なネイルを見ていると不思議と心は落ち着いた。

おばあちゃんはKの真っ赤なネイルをひとしきり
じっくりとみまわしたあと
Kの手をとり
2回ポンポンッとたたくと
静かに手を元の場所に置いた。

そしておばあちゃんは緑色の下駄を履いて外に出た。

家を出るまえ、扉を閉めるときに
おばあちゃんは一度だけ
こちらをみた。

こちらをみて、にこっとすると
小さく手をふった。

「バイバイ。」
とKには聞こえた気がした。

カランコロンと響く下駄の音は
どんどん遠くへと流れ
風と共に消えていった。

それっきりおばあちゃんはどこにも姿を現さなかった。
銭湯ではいつも一人で珈琲牛乳を飲んだ。
帰って玄関のドアを開けるたび、
もしかしたら今日はおばあちゃんがいるかもしれないと思うけれど
部屋に入ってもだれもいなかった。

ミルは相変わらず玄関でお出迎えをしてくれた。
ミャーと鳴く。

真っ白いふわふわの生き物。

Kはおばあちゃんに手紙を書くことにした。
引き出しの奥のしまっていた
白い便せんを目の前に
いざ書こうとしても
書く言葉が思い浮かばなかった。

「ありがとう」や
「また会いたいです」とか
そういう事が書きたいのではなくて
ただおばあちゃんとの生活の中で心の奥に出来た
ふかふか
ぽかぽか
した場所を伝えたかった。

言葉が足りない
全然足りない
伝えたいことが言葉にならない

結局手紙には緑色の下駄の上に
ちょこんと座るミルの絵を描いた。
黒いペンで縁取りを書いた後は
色鉛筆で丁寧に色をつけていった。

もしかしたらKが外出している時におばちゃんが帰ってくるかもしれない。
そう思って手紙はいつもテーブルの上に置いて出かけた。
その手紙がなくなることはなかった。

Kは休みの日、久しぶりに
近所の雑貨屋に行くことにしていた。
ここにはインドの輸入雑貨が置いてある。

オーナーの趣味で集められた雑貨達は個性的な色をした人形が多かった。

奥に進んだ先に置かれていた人形に目がとまった。

緑色のその人形はまるで
あのおばあちゃんに似ていた。

「おばあちゃん」

手に取り眺めてみた。

人形が来ていた麻の服は
いつもおばあちゃんが来ていたワンピースとよく似ていたし
エプロンの模様までそっくりだった。

「それ、おもしろいでしょ?
最近また戻って来たんですよ。」

「戻ってきた?」

店主は妙なことをいう。

「そう。
たまにふらっと居なくなるときがあって、
私が居ないときに売れたのかと思っていたら、いつの間にかそこに座っていたんですよ。
不思議でしょ?ま、嘘ですけどね。あははは。」

「嘘?」

「あー実際は毎回私がインドに行くたびに買ってくるんですよ
インドにいる人はその人形をいつも作っていて
私も思わず毎回手にとって買ってしまうんです。
で、帰ってくるといつも必ず売れているんですよ。
でも誰にも売った記憶が無いそうでね。
まったく、家の嫁は適当なんでね。全部同じ人形に見えるから
そんなのいちいち覚えてないっていうんですよ。」

手に取ったおばあちゃんに似た人形はkの手の中できちんと収まっていた。
kの手にとてもなじんでいた。

「これください。」

kは人形を買って帰った。

ミルは人形に素早く反応し、
匂いをひとしきり嗅ぎ
おそるおそる猫パンチをした後、
抱きかかえ猫キックで蹴り上げた。

そのあと人形には興味を示さなかったが
毎日仕事から帰りドアを開けると
玄関にはあの人形とその横にミルがいる。

「ただいま。」
kがそういうと
ミルは「ミャー」とないた。
(おかえり)

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