昨年末ネパールに行った。
この旅では、なかなか心が旅から帰ってこなかった。
そして行く前は4日間の高熱、
後は咳が止まらず年の後半はほとんど体調悪い中過ごしていた。
登山経験もなく初めてヒマラヤトレッキング。
帰りの下りの道で右膝を痛めた。
今も階段を上ったり、坂を歩くと痛む
ヒマラヤの雪は年々溶けていると聞いた。
至る所に牛、馬の糞。
乾燥したそれらが舞って、
とにかく埃っぽかった。まともに息が出来ないので
いつも口に布をあてていた。
日本人の団体もよく見かけた。
私は1人で行ったのだけど、
個人とガイドだけの人は見かけなかった。
これが道なの?と言いたくなるような
ほぼ岩が積み重なっているだけの山道。
反対側は崖。
流れの速い河や山の谷間を覗くと足をすくわれそうになる。
酸素も薄く少し登るだけで息が上がる。
何度も転んだ。
ひとやすみする度に見える景色が変わっていき、
自然の中で過ごせた事がとても嬉しかった。
汗だくだけど風呂もシャワーもなく、
何日も同じ服を来た。
夜はとても寒く、歩き続けた足はがくがくだった。
怒ったり
嬉しくなったり
かなしくなったり
喜んだり
山を登れば登るほど優しい目をした人たちに出会った。
そしてチベット仏教の飾り?をよく見かけた。
色に惹かれた。
山に住む人たちのほとんどがチベット仏教。
風を泳ぐ色とりどりの旗も所どころで見かけた。
風をみた。
クムジュンという村では前から歩いてきたおばあさんが道ばたに落ちている牛の糞をつかみ
壁にぺったと貼り付けけ、目が合うとにっこり笑った。
この村では糞を乾燥させた物が燃料に使われるとのこと。
うんこの壁
初めてみる光景とおばあさんの笑顔に心がキュンッとなった。
こういう旅が好きなのだと思った。
地球をしっかり感じることの出来る旅。
自然を感じることの出来る旅。
旅ではだいたい何時も野菜だけのベジダルバートを食べていた。
美味しかった。
野菜も新鮮でとても好きな味だった。
カトマンズでも食べた。ボリューム満点で豪華だったけど
山で食べたダルバートが一番美味しかった。
カトマンズはとにかく空気が悪くて白いマスクが黒くなった。
ここで一気に体調を悪くしてしまい、
帰ってきてからはしばらく咳が止まらなかった。
丁度飛行機が一緒になった人はポカラに住んでいる人で
カトマンズは都会で空気がすごく悪い
ポカラは空気も良くて、のんびりしていて良いところ
だと言っていた。
いつかポカラに行ってみたい
私はこれから先も何かの宗教に入ることはないと思う。
自分の中から湧き出てくる事や、
自分の感じ方をしっかりと感じていたい。
誰のことも崇拝したくないし、尊敬もない。
尊敬するというのは尊敬しない誰かがいるという事で
それはたいてい自分だ。
自分が他の誰かになることや、誰かを目指す必要もない。
でも誰かのことをすごいなーと感じたり
おもしろいなーと感じるのは良いと思う。
これはあくまで私の感じ方だ。
幼少期から宗教は常に身近にあり共に育ったせいも在ると思う。
今は何も頭の中に入れたくない。
正しいとか正しくないとかではなく
自分の感じることをただ大事にしたいと心から思う。
でもチベット仏教にはなんだか心惹かれるものがあった。
帰って来て、チベット死者の書を読んだ。
チベットを少し探求してみたくなった。
チベット死者の書を読むと死んでも続くから
今を生きることがどれだけ大切か。
生きている時間はあっという間で
あっ!もないほどシュンッと過ぎ去っていく。
帰りの空港に向かう車の中で、沢山の煙を見た。
ネパールでは大きな川岸で火葬が行われる。
火葬場では炎は燃え上がり異臭がするそうだ。
死を隠さない。
リアルな死はあたりまえのように身近にあり
美しいものでも
特別神聖でもなく
生きていることと
死んでいくことは一緒
呼吸のようにあたりまえ
大気中には死者の煙が気配が立ちこめている
日本では考えられない事だけど
リアルな死を感じることによって
命を大事に身体を大切に生ききろうと息をした