短編小説
しんしんと雪の降る寒い夜だった。
山小屋は暖炉で暖められ、Kは珈琲を飲みながらゆっくり椅子に座り
本を読んでいた。
「コンコン」とドアをノックする音が聞こえる。
ドアを開けてみたが誰もいない。
そこには真っ白な銀色の世界があるだけだった。
「あの…」
かすかに声が聞こえる。
「あの、、、、私の話をきいてください」
と足下から声が聞こえてきた。
みるとkのふくらはぎくらいまでの小人だった。
山での隠遁生活が長すぎて
目の覚めた夢でも見ているのだろうか。
kは気のせいだと思い、何も見ていないことにしてドアを閉めた。
するとまたコンコンとノックする音が聞こえてきた。
kは扉の前に置いてあったバットを手に取り
息を整えた。
今度は勢いよくドアをあけ、バットを振りかざさした。
ドアを開け、バットを手にしたkに小人は震えていた。
「殴らないで。」
おびえた顔の小人。
「夜分にすみません。私、この森の中で大事な物を落としてしまって
それがないから森から出れなくなってしまって。
一晩、泊めていただけませんか?」
よく見ると小人は裸足だった。
足は真っ赤だ。
「寒いでしょうに。どうぞ」
「ありがとうございます。」
小人はkのふくらはぎくらいの大きさしかない。
目と横に広がった耳がとても大きくてモモンガのような顔つきだった。
小さな手をぎゅっと握りあわせて、深々とkにお辞儀をしている。
暖炉の前にちょこんと座り、
「あたたかいですねー」
といった。
「なにか飲みますか?」
「貴方が飲んでいるものが飲みたいです。」と小人は言った。
「私が飲んでいるものは珈琲ですよ。とても苦いですが」
「大丈夫です。珈琲が好きなのです。
よく人間達に飲ませてもらっています。」
小人は外が寒かったせいか
ほっぺたが真っ赤に染まっていた。
Kはキッチンに行き、お湯をわかした。
「はて。どうしたものか。」
やはり自分は夢でも見ているのだろうか。
kは珈琲にはこだわりがあり、豆を焙煎し自ら挽いている。
自分で淹れる珈琲はこのうえなく美味しい。
良い豆の珈琲は泡の立ち方が違う。
お湯を注ぐとぶくぶくと上を目指して一斉に泡は立ち上っていく
あたりに珈琲の深い香りが広がる。
赤い小さなコーヒーカップを用意した。
淹れ立ての珈琲をもち、リビングに戻ると
こびとは暖炉の火をじっと見つめていた。
火は細くなったり、太くなったり激しく動いていた
「火は生きているようですね。見ていてあきないですね。」
小人は言った。
「そうですね。私も珈琲を飲むときには、ずっと火を見ているのですよ。
なんてないんですけどね。時間を忘れて1時間も眺めている事があります。
さあ、あたたかいうちにどうぞ。
お砂糖とミルクは?」
「何もいりません。」
そういって小人は珈琲を一口飲んだ。
「これは美味しい珈琲ですね。香りが良い。」
「珈琲の味が分かるのですか?」
Kはおどろいた。小人が珈琲を飲む姿はなんとも心がくすぐられる。
「はい。ちょくちょく飲ませてもらっていたので。
これは私の好きな味です。もっと飲みたい。」
「いくらでもどうぞ。沢山飲んでいってください。」
「わあ。うれしいなあ。暖まりますね。」
こびとの肩や頭に着いていた雪が溶けていった。
こびとは足を前に投げ出し、少しずつ大切に珈琲を飲んでいた。
Kはここに来て初めて誰かと話した事に気がついた。
誰かと言っても小人だが、それでもやはり久しぶりの会話は楽しいものだ。
二人はじっと炎を見つめている。
「私は落とし物をしたのですが、何を落としたのか覚えていないのです。」
コーヒーカップを一心にみつめ、小人はまるで珈琲に話しかけているかのようだった。
「落とした物を思い出せないで、探せるのですか?」
小人はにっこりほほえみながら、まるで空気の中から言葉を探すように
静かに話し始めた。
「見つけたら分かると思うのです。
そうそうこれだったと思い出すと思うのです。
それまでは探すしかないですね。
もう探し始めて50年になります。」
小人は年齢不詳の外見をしている。
目はキラキラとしていて、少年のようだし、
雰囲気はどことなく人をホッと安心させる穏やかな空気感をまとっていた。
小人と話をしていると、かつて幼い頃に夢見た童話の世界を思い出す。
雪のしんしんと降る音に、暖炉の火のなる音
まるで二人以外何もない深い海の底で会話をしているかのようだ。
「分かるものでしょうか?思い出せもしないのに。」
「分かるものだと思います。
大切なものと言うことだけは覚えていますから。
大切なものは色あせないでしょ?
大切なものはずっとたいせつでしょ?」
そう言って小人は2杯目の珈琲を頼んだ。
大切な物はずっと大切だろうか?とKは考えた。
時の経過と共に大切な物も、目にする景色も全て変わってしまう。
大切だった物は当たり前の物に変わり、
永遠に大切だと思っていた人もいつかはいなくなる。
「それでも変わらないものもあるのですよ。だから大切な宝物なのです」
小人はにっこりほほえみながらKの心の会話に答えてきた。
2杯目の珈琲は白いコーヒーカップに入れた。
妹がフィンランドに行ったときにお土産でくれた物だった。
「お!フィンランド製ですか。懐かしい。
昔フィンランドに住んでいたんですよ。」
「フィンランドにですか?」
「ええフィンランドです。
森があって、水が美味しくて、大変良いところでした。
日本と似ている所もありますがね。
日本には森が少なくなってきましたがね。」
どうやって日本まで来たのだろうかとKは思ったが、
所詮、これは夢なのだ。聞くほどの事ではない。
「夢なんかじゃないですよ。私は存在していて、
貴方と今こうして話しています。日本に来たのはいつのことか忘れましたが、
長い長い気の遠くなるような時間軸の中で、
住んでいた記憶があるのです。
貴方にもそういった記憶があるのですよ。
忘れているだけだと思いますが。」
「過去性というやつですか?」
「いえ、そんな事ではない。
もっと大きな時間軸です。その時間軸はいったり来たり、
のびたり縮んだりを繰り返しています。」
こびとは2杯目をぐいっと飲み干した。
Kは珈琲を水のごとく飲み干す小人の姿を見て笑い出した。
Kが笑うとつられて小人も笑いだし、
暖炉の火はいっそう燃え上がっていた。
kはいつの間にか寝ていたようだ。
起きると、小人はいなかった。
テーブルの上にコーヒーカップはなかった。夢だったのだ。
なんとも子供じみた夢を見たものだとKは思った。
キッチンに行くと、洗われている赤と白のコーヒーカップが置いてあった。
「あっ」
思わずKは声に出す。
夢ではなかった。小人は確かにここにいたのだ。
Kは40年勤めた郵便局を今年の春に退職し、
その退職金でこの山小屋を購入した。
余生は森の中で暮らしたいとつねづね思っていた。
Kには長年連れそった妻もいた。
二人に子供はいなかったが、
妻もKも子供がいてもいなくてもどちらでも良かった。
子供も立派な一人の人間だ。
世界を知ってしまったkにとっては、
新しい命をこの世界に迎え入れ、育み、
どんな時にも真摯に向き合う
覚悟と責任の重さが少し怖かった。
妻は10年前に亡くなった。
その日は良く晴れた、春の心地よい風が通り過ぎた朝だった。
いつも通り、妻の目覚まし時計がAM5:00になる。
目覚まし時計の音は鳴り続け、Kは妻に呼びかけた。
揺さぶると身体は冷たく、
起き上がり、息を確かめると、もうすでに息はしていなかった。
横には冷たくなった妻。
目覚まし時計の音は少し遅れたさよならを告げるように鳴り続けた。
前の晩はいつもと変わりなく「おやすみ」そういって眠りについたのだ。
明日があると思っていた昨日は永遠の「おやすみ」になった。
死と眠りは似て非なる物だが
毎日の眠りは死に似ている。
kは妻が亡くなってからは、ずっと一人で過ごしている。
AM5:00一人で朝起き、東の方角を向いて水を飲む。
部屋の掃除をして、お弁当のおむすびを作る。
1杯の珈琲を飲んだ後、徒歩で片道20分の郵便局へ歩いて出勤する。
そして仕事が終わるとスーパに立ち寄り、
その日に必要な食材だけを購入し、簡単な夕食を作って食べる。
ゆっくり湯船に浸かり、ベットで本を読んで、PM10:30眠りにつく。
休みの日も何時もと同じ時間に起き、近所を散歩する。
本屋と花屋に立ち寄り、
帰りには近所の商店街で新鮮な食材を買い、家に帰る。
昼ご飯を簡単に済ませた後、手の込んだ夕食を作る。その繰り返しだった。
この繰り返しの生活をkはとても大切にしていた。
自分の中の積み木が音をたてて崩れてしまわないよう、
そのバランスをしっかり保てるように静かに暮らしていた。
趣味と呼べるものも特になかった。
自然が好きだった妻。
「いつか静かな森の中で暮らしたいの。
自分たちで野菜を作ったり、ハーブを植えたり。
たまに小人が遊びに来たりしてね。」
そんな妻の話を、それもおもしろいかもしれないとKは聞いていた。
そのときに流れていた
ドビュッシューの「2つのアラベスク第1曲」を聴くといつもその日のことを思い出す。
流れるような旋律。春の木漏れ日に妻と二人で、
森の中小人を見つけた姿を想像する。
もしもまだ妻が生きていたならこの山小屋を喜ぶに違いない。
今でも時折、暖炉の前で珈琲を飲んでいると妻の気配を感じる事がある。
次の日の夜も小人はまた訪ねてきた。
「コンコン」
2回ノックがなり、Kはドアを開けた。
「今晩は。貴方の珈琲がまた飲みたくなって。」
そう言って澄んだ目でKをじっとみている。
「どうぞ。上がってください」
「ありがとう、伯爵!」
伯爵と言われKは思わず笑った。
「何の音楽ですか?とても美しい音ですね。」
「ドビュッシーですよ。音楽はお好きですか?」
小人はもちろんという顔をして
「音楽と珈琲は良くあいますから。私は好きです。
心にストンッと響く音を聞くと、深い嬉々としたものを感じます。」
Kは小人と話をすると思わず、ほほえんでしまう。
「珈琲入れてきますから。少し待っててくださいね。」
そう言ってKはキッチンに向かった。
昨日と同じ小さな赤いコーヒーカップに珈琲をつぐ。
日に何度も淹れている珈琲だけど、珈琲の香りはいつ嗅いでも良いものだ。
kは深く呼吸をした。
珈琲を飲みたいというより、珈琲の香りが好きなのだ。
「森のロッカーを知っていますか?」
「森のロッカーですか?知りませんね。そんな物、森にあるのですか?」
小人は持っていたコーヒーカップを置いて
「実は…」と小声で話し始めた。
森の奥でフクロウがないた。
あとには森の住人達が耳を澄まして聴いているかのような深い静寂が訪れた。
「この森の地下にはロッカーがあるのですが、そのロッカーに
私のなくした物があるんじゃないかと熊達が言うんですよ。」
「ロッカーにですか?」
小人はコクリと頷いた。
「岩でできていて、一見、ロッカーには見えないみたいです。」
そう言うと小人は首から提げていた真鍮のコンパクトを開いた。
「この羅針盤によると丁度この家の下は
ロッカーへの地下通路になっています。
岩のロッカーまでの道は満月の雪の降る日に通行できるようになっています。
その日には地下の道が凍り、月明かりで照らされた扉が開かれます。
今日は地下に潜るのにもってこいの日です。」
「今まで住んでいてもどこにも扉は見当たらなかったが。」
「扉は自分たちで見つけるのですよ。」
「見つける?」
「そうです。
この羅針盤によると…]
小人は家の中を歩き出した。
「このキッチンの下に梯子があるみたいです。
あ、ちょうどココですね。」
小人が指をさした先には、床下収納だった。
キッチンには床下収納がある。
ここにkは野菜を納めている。
適度に冷たく鮮度を保ってくれるので
冷蔵庫に入れるよりも野菜が美味しくなるのだ。
kは床下収納を開けた。
何時もの通り野菜が入っているだけだった。
野菜をどかしてみたが、ただの物入れだ。
小人は床下収納の中に入ってみた。
丁度小人が眠ることが出来るくらいの大きさだ。
目を閉じて、床をコンコンと叩いた。
横に広がっていた小人の耳が後ろを向いてピンと立った。
「ここです。間違いありません。
ここの床を思いっきり叩いてもらえますか?」
小人は中から出て、叩く場所を指さした。
「分かりました」
kはキッチンに置いてある鉄のフライパンで床を思いっきり叩いた。
すると床が抜けその拍子に鉄のフライパンを落としてしまった。
しばらく耳を澄ませてみたが、フライパンが底に着いた音は聞こえなかった。
中には梯子が着いていたが、梯子以外何も見えない。
下を覗くと背中が震えた。完璧な暗闇だった。
「ロッカーまでの地図は私の頭の中にあります。
さあ、行きましょう。
いいですか。絶対に下を見てはいけません。足を踏み外しますから。
踏み外すと底がいったいどこで終わるのか私にはわかりません。
ここに戻れなくなりますから。まずは私から先に降りていきますね。」
「えっ!?私は行きませんよ。ここで待っていますよ。」
「一緒に行きましょう。南十字路の住人が一緒じゃないとロッカーの扉は開きませんから。
さあ、早く!満月が雲に隠れてしまう前に急ぎましょう。」
そう言うと、小人はすたすたと器用にはしごを飛び降りるように降りていった。
kは小人の話を聞いて少々混乱したが、
先を急ぐ小人につられて後に続いた。
kは小人の言うとおり一歩一歩はしごを足の裏で感じながら
ゆっくり慎重に降りていった。
足の裏はじっとりと汗をかいている。
見上げるとキッチンの明かりがどんどん小さくなっていった。
深く海の底に潜っていくような感じがした。
明かりが全く見えなくなると
何かの視線を強く感じた。
視線はkにべったりとまとわりついた。
kは意識をよりいっそう足の裏に集中させた。
その何かに引っ張られて落ちてしまわないように。
だんだんと手足の感覚が消えていき、
梯子をなんとかつかむのでやっとだった。
更に気を引き締めて一段一段慎重に降りていく。
どのくらいの深さまで降りてきたのだろうか。
下の方からぼんやりと明かりが差してきた時、
kは忘れかけていた自分の意識を取り戻していった。
「ここに降ります。」
小人は先に踊り場のような場所に降りた。
梯子はまだずっと先まで続いている。
kは感覚のなくなった手足を慎重に動かし梯子から降りた。
踊り場のような場所は4つに道が分かれていた。
右はBと言う看板。
左にはDと言う看板が立っていた。
正面は工事中、後ろには立ち入り禁止と書かれた看板が立っていた。
「ここがロッカーのある場所ですか?」
「ここは南十字路です。ロッカーはこのDの道の先にあります。」
「南十字路?...私はここの住人なのですか?」
「はい。そうです。だからこの家に住んでいたのですよ。
貴方が来るのを森の住人達はずっと心待ちにしていたようです。
ここに来る事はすでに以前から決まっていたようですから。
南十字路を通れるのは、その住人がいるときだけ。
そして森のロッカーは南十字路の住人と一緒じゃないと開かないのです。
貴方は南十字路の住人でもあり、森のロッカーの鍵でもあるのです。」
そう言ってこびとはDの看板の道を進んでいった。
奥に行くにつれてだんだんと景色が明るくなっていった。
丸いアーチ型の天上には色とりどりのガラスが敷き詰められ、
沢山の氷柱が出来ていた。
ガラスの色は氷柱の中で様々な色彩に変化し
青の中の青が辺りをぼおっと照らしていた。
左右の壁には沢山の大きな岩が積まれていた。
道の先には閉ざされた大きな扉。
扉の前にはシャワーヘッドが2つ並んでいた。
「シャワー?」
「はい。このシャワーを浴びないと中には進めないようです。
貴方は気がついていないかもしれないけれど
私達は随分と汚れているので、一度洗い流さないと行けないんですよ。」
真珠貝で出来たシャワーの蛇口をひねると煙がモクモクと出てきた。
煙はkの肌にあたると真珠になりパチッとはじけて消えていった。
真珠が消えていくたびにkの身体はどんどん軽くなった。
シャワーを浴びた後
kも小人もキラキラと輝いていた。
特に鼻はピカピカと光っていたので、
お互いに顔を見て笑い合った。
小人は笑ったkの顔を見て、更にしばらくの間笑い転げていた。
扉の前に立つと、大きな扉がゴーオオオと音を上げ開いていった。
目の前には真っ白な道が広がっている。
その先には大きな岩肌の白山が見えた。
「あの山の麓にロッカーがあるはずです。
迎えの木馬です。これに乗って行きましょう」
2人はやって来た顔のない木馬にまたがり道を進んでいった。
木馬からは水仙の香りがした。
辺りは水色の綿飴の空と真っ白な土に覆われていた。
果てしない水色と白の地平線の彼方をkはまっすぐに見ていた。
山の麓に着くと
一人の女性が立っていた。
女性はパンツスタイルのきっちりとしたスーツを着ていた。
「お預け物ですか?」
「いえ、捜し物を見つけに来ました。
大事な物をなくしてしまって、いくら探しても見つからないので、
ここにならもしかしたらあるかもしれないと思って。」
女性は無表情に小人の話を聞いていた。
「でしたら、奥のロッカーをのぞいてみてください。
そこに落とし物類は集めてあります。
ここから4列目の所です。」
2人は奥のロッカーに向かった。
そこには大きな岩が10個、横に並んでいた。
Kは左からロッカーを開けていき、
小人は右からロッカーを一つ一つ見ていくことにした。
ロッカーの前に立つと、自動的に扉が開き
開くときにはグゥゥー、グゥゥーと音が鳴った。
kが初めに開けた一つ目のロッカーには、
ボタンが一つはいっていた。
深いブルーのボタンだった。
Kはこのブルーのボタンに見覚えがあった。
それはKの休みの日に着るブルーシャツのボタンだった。
このシャツは、二人でイタリア旅行に行ったときに購入した物だ。
この旅行の最終日にパスポートをとられてしまい、
今までで見たこともないぐらい、二人とも真っ青になった。
思い出のブルーのシャツなのだ。
しかし不思議なもので、そういう旅こそ色あせずに心に残るみたいだ。
kはこのボタンをポケットにしまった。
次の扉を開いてみると、一冊の本が入っていた。
子供の頃、何度も繰り返し読んだ本があった。
いつのまにか手放してしまった本。
手に取ってみると、知っている感覚が手に残る。
小人が世界に一つしかない幻の切手を探す旅の物語。
その切手でしか手紙を送ることの出来ない風の島には
小人の親友である竜が住んでいた。
小人が竜に手紙で伝えたかった事は一体何だったのだろうかと
kはよく思いを馳せていた。
最後、無事に手紙を送ることは出来たのだろうか。
本の中の小人の旅は途中で終わっていた。
その小人はどことなく今、Kの隣にいる小人に似ている。
幼い頃のKは本の中の小人が友達だった。
これは父が私にプレゼントしてくれた本だった。
「良い本を沢山読みなさい。
読んだ本はいつかKを助けてくれるから。」
父はすごく本を読む人だった。
暇さえあればずっと読書をしていた。
父は「頭の中の物は誰にも盗めないから」が口癖だった。
kは次々にロッカーを開けていくにつれて、
忘れ欠けていた大切な思い出を見つけていった。
「色々出てきますね。貴方の方はどうですか?」
小人の真剣な表情も今では和らいでいる。
「色々出てきていますよ。懐かしい思い出ばかりだ。」
kと小人は最後のロッカーの扉を開けた。
扉を開くと中は真っ暗な暗闇が広がっていた。
無数の星々の瞬きを感じる。
星は次々と産まれては消えていき
透明な生と死がそこにはあった。
彼方には銀河の渦。
鉄道の汽笛の音が彼方からきこえてくる。
鉄道はどこまでも続き、全てを包む闇は消えることはない。
この景色を知っている。
気の遠くなるような時だけが流れていく。
全てがただ在る空間。
隣をみるとまっすぐ前を見ている小人がいた。
「私は今、汽笛の音を聞いて思い出したことがあります。」
小人は口を開いた。
「私の探していた大切な物は貴方が今、手にしているその本だったようです。」
「この本ですか?」
「はい。幼い貴方と共にいたその本です。私もそろそろ帰る頃ですね。
この本は北十字路行きの切符になります。これであの汽車に乗れます。
その本を私にください。
貴方がいつの日か北十字路に帰る頃にはこの本を返しにいきますから。
私は物語の中へ戻らなければならない。」
「私はいずれ北十字路と言うところに帰るのですか?」
「はい。そうです。次の南十字路の住人が見つかれば
いずれ貴方は北十字路に帰ることになります。
私達は北十字路から来たのですから。
ここにこうして一緒に来ることが出来てよかった。
またいつか貴方の珈琲を飲みたい。」
Kは目が覚めた。
どうやら長い間、夢を見ていたようだ。
時計をみると、針は夜中の3時をさしていた。
暖炉の火は未だ消えずに、Kを暖め続けている。
テーブルには赤いコーヒーカップと
青いボタンが寄り添うようにそっと置かれていた。
しばらく青いボタンを眺めた後
kはキッチンに向かった。
床下収納を開けてみると、
いつもの通り野菜がきちんと在るべき場所に収まっており、
昨夜の扉は跡形も無く消えていた。
ポットに火をかけお湯を沸し
棚から真っ白なコーヒーカップを取り出した。
お湯を沸かしている間、kは自分の手をじっくり眺めた。
ぽつぽつと
どこからか舞い込んできた雪がkの手に落ちては消えていった。
雪が消えた後、永遠に消すことのできない刻印を押されたかのように
両手には6角形の雪の結晶が12個残っていた。
珈琲を淹れ終わると
チャイムが鳴った。
外を見ても誰もいない。
あたりは一面、雪景色になっていた。
夜空にはまるい月が輝き、雪はきらきらと光っている。
雪に埋もれた庭には、いくつかの小さな足跡が残っていた。
月明かりはその一つ一つに影をつけ、足跡は森へと続いている。
どのくらい眺めていただろうか。
kは身体が芯から冷え切っている事に気がつき
キッチンへ戻った。
戻ってみると白いコーヒーカップの横には
静かに小人の本が置かれていた。
kは冷たくなった珈琲を飲みながら
本の1ページを開いた。
閉ざされた窓のカーテンが大きくゆれ、
暖炉の炎がパチっとなった。