あの事件に思うこと。
座間の事件は見ないようにしてきた闇が一気にあふれ出したような
これだけ死にたいとおもう若者が日本には多いということ。
このブログでも死について書いた記事が人気だが、
それだけみんな何とか今日を必死で生きているのだと感じた。
でもこの瞬間、この景色に出会えてよかったと思うときもあったりする。
結局、幸せでなくてもいいし
不幸でもいい
死は誰にでも必ずやってくる
私達は死に向かって生きているということで
一日一日生きているのではなく
死んでいるのだ
そう考えると
せっかく産まれてきた人生
とことん後悔して
苦しんで
喜んで
楽しんで
生きてみるのも悪くはない
私は自死を否定はしない
ただ死は誰にでも訪れ、避けられないものだから
今じゃなくてもいい。自ら怖い苦しい思いをして死ぬ必要は無いと思うのだ
特にそう感じた物語がある
「ベロニカは死ぬことにした」
この物語は簡潔に話すと、自ら死のうとした主人公が病院に運ばれ助かってしまい
医者から余命の宣告をうける
その間に色んな葛藤があり
最後は全部主治医の嘘で、主人公は結局生きることになる話である
(なんてざっくりな説明)
そこで主人公は本当は生きたかった自分の気持ちに気がつくのだ
自分のやってしまった事を後悔する
死にたいと思うのは今で
未来ではない
その瞬間消えたいのであり
生きていてよかったと思えることが一瞬でもあれば
人は生きたいと思うのだ
誰しも死にたくなるときはあるし
人は思考する生き物なので
生きていて何の意味があるのかと問いたくなるものだ。
生きることに意味なんてない
意味なんて無いから、人は生きがいを見つけていく
この生きがいはそれぞれ個人で見つけていくしかない
料理をつくる、美味しい物を食べる、
ゲームでもいいし、ブログを書く、子供や家族、写真をとる、音楽を聴く
猫と遊ぶ、唄をうたう、ランニングなどなんでもいい
人の役にたたなくてもいい
仕事にならなくてもいい
自分の心が少しでも軽くなり
楽しいかもしれないと思うことをやっていく
ただ今日も存在し
生きて、息をしている
それだけでいい
そのうち、誰かの役に立ちたいと思うときが来るかもしれない
その日が来るまでは
その日が来なくとも
とりあえず今は
幸せじゃなくてもいい
正しくなくていい
社会の役に立たなくていい
やりたいことがなくてもいい
ガラクタでもいい
光でも闇でもどちらでもいい
生きてさえいたら
この景色が見れてよかったと思える瞬間がくる
白黒だった世界に、はっとするほどの鮮やかな色がつく瞬間がある
消えたいと思う日もあれば
生きていて良かったと思う瞬間もある
繰り返しになるが
結局人はいつか死ぬのだ
一日一日私達は死に向かっている
というか死んでいるのだと思っている
眠りにつく時に死に
目覚める時にまた新しく蘇る
毎日生まれ変わっている
何のための苦悩か
生きる目的とは
きっと生きている間中、これからも問うのだとおもう
顔を見た事も
名前も知らない
死にたい、消えたいと思う誰かが
今日も存在してくれていたら
明日も存在し、息をして
「なんだか楽しいかも」
「なんだか好きかも」
という瞬間に少しでも出会えたら嬉しく思う
生きてるのって素晴らしい!
生きているのって楽しい!!
今の世の中でそんな事を心から言っている人が果たしてどれほどいるのか
少なくとも私の周りではあまりいないと感じている
消えたいと思っている人は皆言わないだけで実は結構いる
私も呼吸をするように、もう消えてしまいたいと思う瞬間はある
定期的に波が訪れるので、今では発作の一つだと思っているし
幼少期からなので、そう思ってしまうというのは自分の中であたりまえのことなのだ。
そうゆう人は少数ではあるが一定数はいる。
生きているのも悪くはないと感じることもある
猫のおなかのにおいを嗅いだときや
猫を抱きしめた時
猫が変な顔をして寝ているのをみて笑っているとき
あとはヨガをした後。ヨガの後は世界が綺麗に見える
自然の中で過ごす時
など、書き出してみると私の場合はほとんど猫だった
そんな猫はただ存在しているだけだ。
みんな水面と陸地との境目をさまよい
なんとか息をつないでいるのだと思う
「もう消えたい」
「死にたい」そう思う瞬間は誰にでもある
幸せであってもだ
もう十分だと
ここまで色々書いてきたが
今日も消えたいと思いながらも何とか生きている人
今日も存在し、生きることをあきらめなかった事が
周りの誰かを幸せにしている。
あなたが痛みを抱えながらでも今日を生ききったこと
とても素晴らしく、また尊い事だと思う
消えたいと思っている方の日常のふとした時に
生きてるのも悪くないと思える瞬間がありますように
生きていれば必ずそういった瞬間が訪れますから
出会えて良かったと思える瞬間が沢山訪れますように
あとは
今日は美味しい物を食べよう
最後に
皆、かけがえのない尊い存在で
私達は思考するうんこであり
そして人は必ずいつか死ぬ
立派に見えるあの人も
絶世の美女も、憧れの天才も
みんなみんなおなかの中に死ぬまでうんこを抱え生きていく存在
みんな一緒
そう考えると
深く深刻に考えるのが、なんだかどうでもいいっか~
と思えてくる
はず。
なにがあっても大丈夫。
結局、絶対大丈夫。
今までだって何だかんだありながらも
生きてこれたのだから
何とかなるので、大丈夫
少しでも好きだと思えること、楽しいと思える方向へ
大丈夫。
魔法の言葉
「結局何があっても私の人生は素晴らしく、世界は美しい。だから大丈夫」